「もし自分が経営者で職人を雇う場合、あなたは入社試験でどんな質問をするでしょうか?」
質問自体は専門家でなくても何とか考え出せるものだ。だがよい答は難しい。
Barさんの質問は「あなたがいいと思う作品を10個作ってください」というものである。
(中略)
「要件を満たす人材を見つける」という意味では、確かにこれは良問だ。しかし、良問という場合は、質問者が作ったものである。それに対して、「サンプルを作って持って来い」というのは、すでに確立された質問のいいかえであり、職人が職人を値踏みするのであれば必ずする質問ではないか。
ただし、質問する側に圧倒的な知識と確固たる「価値観」が確立されていないと、この質問にはあまり価値はありません。
これまた当然である。「サンプルを見せろ」は、見る側に鑑定能力があって初めて成り立つ質問だ。質問者がそのサンプルに対し圧倒的な知識と確固たる「価値観」があるのは当然だ。なにしろそれが間違っていればおまんまの食い上げなのだから。
活字中毒R。:「コピーライターとしての資質を一瞬で見抜く」ための、たった一つの質問
404 Blog Not Found:良問?必問!
仕事をするときは、常に「自分が経営者だったら、自分の仕事を喜ぶだろうか」と常に自問するべきだ。
自分でいい仕事をしたと思っていても、それが会社の求めるものと異なれば、それはたとえ出来が良くてもいい仕事とは言い難い。
自分のしたいことと、自分にお金を払ってくれる人が望むことの兼ね合い。どちらに比重が寄ってもそれは仕事としては失敗になる。
自分が人を使うのならば、サンプルの提出は当然だろう。
自分が考えるチームにそいつが必要か。その人間をどこに配置し、どう使うかを考えるためにもサンプルは絶対に必要。
話を自分の場合に当てはめる。僕は、今の仕事をマニュアル化して自分が手を使わなくても動くようにさせたい。自分が手を動かしているうちは自分一人分の仕事しかできないが、分業を上手に行えば、人数分+αの結果を創出できるようになるかもしれない。そのために必要な人間はどんな者なのか。
映像に関しては、カット編が上手い者。素材の奥に通る意味を見出せる者。タイトル制作のセンスが高い者。自分の想像つかないような新しいヒントを与えてくれる者。いろんな人間が必要だ。
そのためには、面談よりもとにかく作って来て見せろ。作り屋には当然の課題だ。
ただ、一つ重要なのはそれが「10個」作って来いというところだ。1個や2個作って来いというのではない。一つのモノを深く追求する者は、いてもチームに一人か二人。それよりは、充分なものを量産できる者の方が、チームにはよほど重要だ。
理想は、各分野において自分より高い能力を持つ者を集めること。
そして自分は、人が納得する知識や価値観と、頼む理由を説明できるだけの説得力を持つ。チーム編成、これは一つのルーティンのプログラミングにもなるのだろう。
そして、自分が制作現場出身の技術屋だというのは、最悪自分で手を動かせばケツは拭けるという強みがある。
それより怖いのは、他人に自分と同じような制作物を期待してしまうことだ。視点の置き所は、場合によっては欠点になりうる。
技術者は、どんどん育つ。若く新しい後進も次々と現れるだろう。直前のエントリーとかぶるところだが、いつまでも同じことをやっていても飽きは来るし成長は鈍化していく。同じことをし続けるのは、人間よりもコンピューターの方が得意だ。
現場のことを充分に理解し、さらに広い視野を持って仕事を推し進められるように自分の成長の方向を調整していく必要がある。
こういった話は、リーダー論や組織論で散々論されてきたことなのだろうが。それでも、恥ずかしながら自分の文章でも書いてみた。
dankogai氏の今エントリーのラスト3行、
(プロにとっての)児戯を褒めることにはきちんと意義があるし、その意義を臆面もなく、そして屈託もなく声に出して読み上げるのが斎藤孝の斎藤孝たる所以だが、広く浅く褒めるばかりでは褒められる方にも張り合いがない。広さを犠牲にしてでも、もう少し深い褒めも見てみたいものだ。
ここはまだ僕には理解に至れないところだ。
「児戯を褒める」、この表現にぴくっときたのだが、そう考えて誉めることはある種傲慢さがにじみ出ないだろうかと不安にもなる。しかしそれはきっと必要な技となっていくんだろう。
上ばかり見ているだけでは、足元がおろそかになって崩壊するのだろうか。ここはまだ自分の中では「~だろうか」の段階だ。
【関連】
「飽き」の大波。 - HamNote
「誉めて伸ばす」への疑問。 - HamNote
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最大の敵は、「めんどくさい」よりもむしろ「飽き」なのだ。
「めんどくさい」を回避する方法はいろいろと考える。メンタルケア、終わった後のことを考える、最近流行りのライフハックやらGTDやら。上手にルーティン化させることで、ある程度は回避できる。自動化できる行動はプログラミングしてしまう。
しかし問題は、「飽き」。
夢中になって新しいスキルをつけ、仕事の効率を上げていく。そうして人よりも高価値な仕事ができるようになる。どんどん洗練化させていき、ある程度自分の方法が「完成」の段階にたどり着く。そこに来てしまうと、一気に襲ってくる…「飽き」の大波。
自分で作り上げたプログラムに沿って行動し、結果を出すのはそれはそれで楽しい。楽しいのだが、「やり方」が出来上がってしまうともうそれでいいのだ。それを自分の手で続けることには意味を感じられない。単調なゲームをし続けるのと同じ種類の楽しみでしかない。
方法なんかさっさと汎用化させて他の人に譲り渡し、新しいプログラムを作り上げる方に行きたくなってくる。
しかし仕事先からは、その完成させた仕事を続けることが望まれる。「自分でしかできない」という方法ではダメなのだ。人に譲り渡して新しいことを始めなくては、「飽き」の大波に飲まれてしまう。そして、「めんどくさい」の領域まで引き落とされる。
自分にないスキルが欲しい。新しいことを吸収し、これまでに得てきた技術とマッシュアップさせて新たに生み出したい。それこそが、マニュアルにはできない本当の「自分にしかできないこと」のはずなのだが。
同じ会社の中で、挑戦させてくれればそれが一番ありがたい。身の安定は確保した上で挑戦。それこそ僕にとっては、今年のテーマでもある「セーフティとチャレンジングのバランス」。
ある程度完成された仕事を自分の手でし続けることよりも、新たにワークモデルを作り出すことの方が、自分がより大きな価値を生み出せる、と理解させる必要があるわけだ。
そこに至り、組織に「あいつはあいつなりの考えがあるから、何やってるのかわからんけど好きにさせとけ」と思わせれば最高のポジションに立てる。ベンチャーの内部でやることではないのだろうか…。
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webが生活の中に浸透すればするほど。英語が普通に読めれば爆発的に世界が広がるんだろうなぁ、と考える。多少の読み書きならばどうにかなるが、やはり時間がかかるし、細かなニュアンスは読み取れない。
ただ、一応めったなことでは翻訳機能は使わないでおいている。やはり字の形が違うので、受ける感覚が違う。何というか、固い文章も翻訳を通すととたんにうさんくさくなってしまう。
なぜ直読みにこだわるかと言えば、それはもう根の考え方の問題だ。
日本語では、「私は~思います」と普通に使う。「~ではないでしょうか」、など。それはいいのだ。間接的で謙虚な日本人。オブラートに包んだ言い方を好む。
英語は断定的だ。英語での「I think…」はもっともっと思索的な印象を受ける。「これは、こうである。」と言ってしまう。将来の自分に語るとき、「私は~しているだろう」ではない。「You should do…」になる。過去と現在、未来が断絶している。そして、自分と他人の境も明確。
日本語で「これは、こうである」と書くと断定的で人によっては嫌悪感を受ける表現になってしまう。英語ならばそれが当然なのだ。
言葉が変われば考え方の根が変わる。考え方が、その言葉のルールに準拠する。
仕事的に、海外の方がはるかに情報が多いし進んでいるので英語が読めるようになりたいというのもあるが、アメリカ的な考え方をもっと身に浸透させたいというのも、英語を身に付けたい大きな理由。
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またまた「思考の整理学」からなんですが。
論語内の記述で物事を考えるのに適した状況を、「三上」と言うそうです。その3つとは、
馬上
枕上(ちんじょう)
厠上(しじょう)
現代で言うと、馬上とは移動中。電車内など、移動時間ですね。
枕上は、寝る前。というよりも、寝てる間に自然と考えが整理されることを言っているような気もする。
そして厠上。トイレの中です。これは家よりも、むしろ会社のトイレの中なんて所の方がいろいろ考えちゃう気もします。自分はタバコ吸わないので、考えが煮詰まったらトイレでぼーっとしてたり携帯ちまちまいじってたりしてますが。ないしょです。
特に歩いている時間なんてのは、本当にいろいろなことを考える。リズムを取っていると考えが進むとも言いますが。
電車内や座っている時間には、本を読みます。移動中は本が読めない。そうなると、自然と考えを進めていくことになる。
ただ、移動中の考えは忘れがち。電車内で本を読んでいて、ふと考えが膨らむ。「うーん…」ってなって、脳内のニューロンだかが自分の個人経験と感応し始める。そうこうしているうちに、駅に着く。歩いている間はずっと考えが進んで行き、徐々に整理されマッピングされてくる。
さてある程度まとまるとこんどはそれを文章か何かに落とし込みたくなる。しかし脳のメモリというのは次々に上書きされていくもので。脳ミソの中にはあるはずなんだが、いざまとめちゃおうと思うと出てこない。「あれ、ここすっごい合理的に片がついたはずなのに…」となってしまう。
と、いうわけで最近は移動中は常に携帯が片手にあるわけだ。思いついたら、さっさと単語でもなんでも自分のメールに送る。記憶のトリガーとしての単語を、書くときの自分のために送っておく。そうしておくと書くときにすらすらと思い出してきて、思考が無駄にならない。
それを言ってしまうと。
blogは「文章」という意味が抽象化されたもので残っているが、実際の思考はもっと混沌としている。
blogは、個人記憶外部記録装置に共有機能が加わったweb最高級のツールであるが、秩序として抽象化された「文章」は、個人に適応される場合それぞれの経験に基づいて解凍され、混沌に戻る。片手に携帯を持ってメモりながら考えるのも、blogを記述するのも。規模が違うものの、どちらも「記憶のトリガー」というよりは、「思念の圧縮装置」であるのだ。
そして、より自分の思念をオリジナルに忠実に解凍し、他人の思念を喚起するためには、高い筆力を持つ必要がある。筆力は、すなわち解凍ツールの優秀さ。単純に文章力というわけでなく。思念を文に変換する能力だ。言わば抽象化能力。
「論語」内では、思考を増幅する指針として「三多」を示している。「三多」とは、
看多
做多(さた)
商量多
「看多」…これは本を多く読めということ。「做多」…持論を多く持ち、「商量多」…とにかく多く著述せよ、と。インプット、反芻、アウトプットをとにかく増やすこと。それが思考を深め、高めることになる。
今の時代は最高だ。孔子が生きていれば、きっと最高のアルファブロガー(笑)になっていたことだろう。web、そしてblogというツールが存在する。三多を劇的に増やすツール。
まさに、人類全員の思考が底上げされていく時代に生まれたんじゃないだろうか。意識による格差は広がる一方だろうが…、しかしこの日本に生まれた以上、高い意識を持って行動すれば、考え方の面で優位に立てる。物事を進める際の時間圧縮、そしてスピードアップを図れる。情報収集の場、発信すべき場。それは自ら求めれば求めるほど広がり、効率が上がっていく。
情報は、時間に変換される。この時代は、時間すらも万人に平等ではないのだ。
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しゃべるということで考えが膨らむ。話し合って広げていくというだけでなく、自分から一方的にしゃべる中で考えが整理されていき、そして自然とふくらみ、具体性を帯びてくる。
逆に、ぽっと浮かんだおもしろそうな思念をネガティブな人間と話していても、自分の考えが否定されるだけで得るものはない。
考えを膨らませるときは、現実的な人間より「いいねいいねー」と相づちを打ってくれる夢見がちな楽天家の方がそばに欲しいのだ。会話がテンポをうみ、全然関係ない話に飛び回る。いわゆる「居酒屋トーク」になる。
いいのだ。それは、ブレインストーミング。思いついたすべてを吐き出し、可能性を押し広げる。エキサイトして熱を持ち、思考の血行を良くしたいのだ。
それには、twitterが非常にいい。基本的に適当に吐き出すものの、他の人はまったく意識しない。自分の考えを押し広げるためにぶつぶつぶつぶつつぶやく。「そうだ、○○しよう」っていう浅くて軽い考えだ。
さてそうしてある程度血行を良くしたら、次はそれを実現可能レベルに落とし込まなくてはいけない。
そのときに会話するべきなのが「現実主義者」。経験豊かな大人。深く詳細に考える人。
そうした相手からは、否定的な意見も多分に食らう。「そりゃ無理だよ」と言われることも多いだろう。
軽いままのふわふわした考えを、いったんギュッと圧縮して、どこが現実に結び付けられるかを考えてからぶつけたほうが良い。ある程度現実に沿って整理しないと、「あー甘い夢みてんな」と思われるだけだ。
この段階の考えは、blogが丁度良いんだろうか。ある程度整理されて人に語るべき文章に落とし込んでいないと、まともに考えてももらえないだろう。
そうして考えを行動に移し、明確な結果が示せれば、ようやくネガティブな人とも話せる。
むしろそのときは、ネガティブで否定的な人のほうが、悪いところを敏感に見つけてくれるかもしれない。何が悪くてどこを修正すべきかを相手の意見から察知するのは自分でしなきゃならないことだが。
ネガティブな人まで肯定的にとってくれるようになれば、それはようやく考えとして一応まとまったことになる。その段階まで行けば、自分の意見として自信を持っていいのではないだろうか。
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