忠と義。と、仕事。で、足りない愛。
おふっ、きたよ躁転期!(`・ω・´)
周りが動いてきた。懐かしい人たちとまたつながってきた。
カラカラとハムスター遊具で走ってる場合じゃないな。
歳とっちまう。歳の分、器用に無茶できるようならないとあかん。目指せ聖☆おじさん!
尽くすってなんだろうね。
日本人、忠義大好きだけど。
いわゆる「忠」ってもん僕はあまり持ってないんだよな。
「義」は持ってるつもりだ。拾ってくれた人、救ってくれた人、縁があって関わった人には筋を通す。「義」を果たす。つもり。
いや過去にはいろいろいい加減なこともしましたがごにょごにょ^^; ちょっとは成長してるんじゃないかな。
いろんな人に会った。
人は、人だ。お互いに変わる。立場が変わる。考え方が変わる。
よほどじゃないと、いつまでも一緒にいられるなんて思えない。
それぞれの旅の最中で共闘できて、それぞれに目的を達成したら移動期が来て、またどこかで状況が変わって再会する、その繰り返し。
「忠」を尽くすのは理想だしそんな相手が現れりゃ最高だけど、「忠」は時として自分を殺す。
綺麗ごとで生きられる安定期ならば「忠」もいいけど、激動期に「忠」は合わない。
だから持つのはあくまでも「義」。意識は自己犠牲より共闘。
相手が助けてくれたことがあったから、もしくは、手を貸すことが自分の目的に適うから、義によって助太刀する。
自己犠牲はそりゃ確かにキレイだけど、ほとんどの場合相手に恩を重く押しつけちゃうことになるから気持ち的にダメ。
昔みたいに藩があって国があって、という時代じゃないし、日本という国一つになったものの、ものすごく人の所属は流動的になってる。尽くすべき相手なんて、そもそもいやしない。
会社を信じてもたれかかるという感覚が、まず僕にはさっぱり理解ができない。
信じて奉じると決めた瞬間に、上下の立場が生じるわけで。
「尽くす」じゃなくて、「貢献」する。
で、目的が変わればバイバイ。その後また目的が合致すれば共闘体制をとる。
ただ、それをするにはどちらも完全に自立してる必要があるけど。相手に即貢献できる実力が必要。
一方が一方に依存した瞬間に、不本意が出てくる。
互いに互いを「必要としない」状態。そんな状態が理想。
それにしても愛がないね。やっぱりしばらくちょっと無理してたのかな…。
瞬間的に好きが向くときがあっても、愛がさっぱりわからない。
自分の身の周りの者、自分に関わった者に、外敵から何らかのアタックがあって被害にあわされたりしたら激怒するってのは愛なんでしょうか。
普段大事にできてなくても、第三者に傷つけさせられたりするのは許せない、みたいな。わがんねっす。
それにしても。
昔から物語に影響受けやすい。良くも悪くもやたらに感受性みたいなのが過多なんだ。自分で言っちゃうのも変な話だが。
ちょっとしたことで激しくテンションが変わる。
だから、それに対抗する手段を理屈の方で持ってなきゃならない。
音楽でも映画でも本でも自己暗示でも、ま、一番手っ取り早いのは脳ミソ系のお薬なんだけど。
子供の頃と違うのは、感情のブレは一時的で、やがて揺り戻しが来るのを経験で理解してること。
それと、いろんな小技を覚えて、ある程度器用に調整ができるようになっていること。
これのお陰で幼いころからずいぶん苦労した。
ずっと「変な子」だった。
20歳も超えてしばらく経つと、なんとか自分を調整する方法も見つけられるもので。
普通に溶け込むことも差し障りなくできている、つもり。
仕事ってものに出会えてよかった。
「労働」じゃなくて、「仕事」。自分がするべきこと。
何をしてどんな日々を送るのかも、そこから生まれてくる結果も、すべて自分にフィードバックする「仕事」。
単純に会社に行って金銭絡んでってだけじゃなくて、この世界で自分がどういうものなのかを確定するためのもの。それが「仕事」。
これがあるからどうにか生きてられる。
すぐにお金に結び付かないことでも、仕事と思って行動する時がある。
それが、先への足固めになったり、可能性の拡大につながる時だ。そこは時間も労力も惜しめない。
お金は後から付いてくる、それはずっと信じてやってきてた。
意外と何とかなってきた。
お金は後から付いてくると考えながら、ある程度汚くならなきゃいけない時もあるんですけどね、いっぱい(;^ω^)
だってそうしなきゃ、仕事を仕事として続けられない。
攻めていかなきゃ、労働に堕しちゃう。難しいところ。

渋谷ではたらくフリーランスのwebデザイン&映像編集屋さん。





