彼女と会った後は、ものすごくメンタルが上向いている…不思議だ。
人は一人じゃなんもできないってやつですね。本当。
一人だったら「まあこんなもんでいっか」だもんな。怒られるのが怖いくらいの相手といるのが、なんかすごくちょうどいい感じがする。
さてま、そんな職探し中の今日この頃。
条件うんぬんより、まず仕事内容。やる以上は一生賭すつもり。そういうのが見つからなければ、安定優先で。
贅沢言ってる場合じゃないけど、妥協はしない方向で。
うーん、おかげで難航(;^ω^)
えらい忙しくなっております。もこもことストレスもたまるし。
しばしの我慢で。
さてそれとは関係なく、ブログの方をいろいろアウトソーシングして小さな政府になることになりました。
レビューも日記も全部入れ込もうとするから、整理つかないブログになるんだ(`・ω・´)
と、いうわけで、餅は餅屋ということで。
「ブクログ」と「ラーメンデータベース」へのリンクを右にぺたりと。いちいち自分でリンク作ったり画像取ってくるより、はるかに楽で効率的で共有的。
下の方には「早起き生活」のグラフ。
土日、笑えるほど崩れました。自戒のために晒します(’A`)
「早起き生活」をあまり恥ずかしくさせないための自訓。「起きた瞬間と、寝る直前だけ意志を強く持て」。そこだけ強く意志を持って、生活リズムさえ整えられれば、それ以外のことは自ずとついて来る。結構本当。
あと、様子見ということで「twitter」と「wassr」はクロスポスト中。
ただ、wassrのチャンネルはおもしろい。エンタメ性高いし、そのうち一般にも浸透していきそう。
生活やメンタルや、調子が悪くなるとブログも更新しなくなっちゃう。
毎日更新ってするほど自分追い込むつもりもないけど、ある程度コンスタントに書いていたいと思う。
ジョギングみたいなもんだ。メンタルのトレーニング。
書くことは考えること。
脳ミソの中のことはちゃんと整理して外に出してあげないと、誤魔化しちゃってそうだからなぁ。
ブログ書くのめんどくさいって、それは思考停止だ。
と、いうわけで、いろんな形で書いてます。ちょっと見たらIEで表示おかしいね。直します。
blog's archives
アウトソーシング。
波を制御してみる。
なんとなく徒労感や閉塞感を感じたら、blogを書くに限ります( ^ω^)
たぶん、社会とは関係無く、確実に積みあがる自分を表に出せるからでは無いかと。
そういえば、最近読んだ本と映画について週末まとめて書こうと思ってたんだ。結局ドタバタしてて書いてない。間を見て書き進めます。
徒労感。閉塞感。
何で感じてるかというと、やはり今仕事を変えようとしてるからというのが大きいんじゃないだろうか。
これまで積んできたものが次でどれほど生かせるのか。次の仕事は確実な成長を得られ、日々打ち込んでいくことができるか。自分がやりたいなと思う方向に一致することができるか。
精神状態が良好で、自信に満ちているときはいい。
どんな仕事だろうと目の前のことに対し最善を尽くすだけ。何をやろうと一緒だ、自分がやりたいと思う方向へは自分で持って行ってやる、という考え方になる。
たまにちょっと不安がよぎった時は、どうもそうした考え方ができない。
色々な選択肢に目移りする。あれもやりたい、これもやりたい。あれもできたんじゃないか、これもできたんじゃないか。
昔と違うのは、自信が失われるのは一時的なことだとわかっていること。
そういう時もある。状態に引きずられて行動するのではなく、待つべきときはじっと待てばいいということ。
自分の中で、波が激しいのはわかっている。調子いいときは「ガンガンいこうぜ」でいいし、調子悪いときは「いのちだいじに」だ。耐え抜けば元に戻る。
総合的には、かなり能天気な楽天家なのだ。
とりあえず、最近のドタバタで崩れ気味の生活を整えよう。リズムが掴めれば楽になる。
あと、再び節酒モードに(;^ω^) いや、彼女そばにいないとすぐダレるね自分ダメだこりゃ。
夜PCつけてると、ムダにネットで時間を潰しちゃう。エロサイトやネタサイト見るのは禁止の方向で前向きに善処したいと考える次第かと思われる様相を呈しております。
ブログの進化と自分の変化【実感編】
ブログがあまりにも生活に溶け込んで数年。
昨日、1年前に書いていた自分のブログを読み返してみた。これが、なかなかグッとこさせられる。
1年前の自分は、今と比べてかなり落ち着いた日々を送っていた。落ち着いたと言うか、余裕があるというか。まったりとしていて、不満もイライラも無い感じ。だから、もっと自分を追い込むのを求めて動き出していたんだが。
今のところ、実感できるブログの一番の効用は、「想いの圧縮記憶装置」。なによりも自分にとって。そして、自分と同じ想いをして、同じコンテクストを持つ者にとって。それらは、圧縮した想いを解凍するキーを持つことになる。
はじめてブログを書いたのは、20歳の頃。ブログではなく、「レンタル日記」だったが。当時、ブログなんて「海外から入ってきた流行モノ」という風に思っていた。
使っていたサービスは「マイぷれす」。当時のブログのテーマは、徹底的に「遊び」だった。遊んでいて、俗な日々を、エンターテイメントとして書いていた。
思えばこれが一番長く続いて、アクセスも一番あった気がする。
次が、「ロリポブログ」。知り合いの劇団のHPとブログを作り、自分も好き勝手に書いていた。
同時に、「ロリポブログ」でもう一本。自分用の営業サイトのようなものを作り、ブログを設置していた。結構小固いことを書いていた。丁度そのあたりからmixiが隆盛し、読み込ませていた。
その後またいろいろあり。あるショップのスタッフとしてブログを書くことにもなった。
楽しかったし辛くもあったが…、なんだったんだろうあの時期は。
ある時期、ちょいとした健康法を知り、それの実践ブログをつけていた時期がありました(’A`)
それが約1年前。うん、自分かなりフリーダム。あれある意味、自分では自由に書いていたつもりだけど結構人の役に立ててたブログだったかもしれない。
ま、そのブログってのは「オナ禁」ブログだったんだけどね。オナニー禁止ですよ。はい女性ひかなーい!
オナ禁効果はたしかにすばらしかった。オナ禁のおかげで精神も安定し、行動力が上がって仕事も充実し、彼女もできて幸せな日々を送っています!
いやこれが本当に。
今すぐオナニーをやめてみるといいよ。1週間で、いかに悪習だったか気づかされるから。
身体にいいことを始めるよりも、まずオナニーをやめること。オナ禁信者と言われようがなんだろうが、その効果の素晴らしさは、僕が熱く語って差し上げます。
そして、ちょっと前の「HamNote」。忍者tools使って書いてた。
今読み返してきたら…、あれ、やっぱちょっとおもしろい( ・∀・) たぶんね、自分のブログの一番理想的な読者って自分。一番楽しんでくれると思う。
ムリして書くんじゃなくて、脳ミソの自動筆記。
あー、最近はもっとまとめて書こうとしてたんだけど…、結局自動筆記に戻ってきそうな気がするある><
昔の自分言ってた、「俺のブログはtwitterの長い版でいいじゃんか」って。
そして、今のhamnote.com。とうとうwordpress使い出した。
だってテーマがかっちょいいし、拡張性自由度が格段に違うし、借り物感からちょっと離れられるので。
同時に、仕事先のブログも一スタッフとして書いている。
こちらはこちらで、この自ブログよりも読みやすさなどを意識して書いている感じ。
ネタ・ネタ・ネタ、のなかにしれっと言いたいことを挟み込むと言うか( ^ω^) いつでもそうですけど、自分。
書き方も変わってきた。
これ、理由としては、ネット人口の増加が明らかにあると思う。昔は、あまりネットの文章は読まれなかった。だから、フォント弄りをしたり改行をやたらに多くしたりして、なんとか最後まで読んでくれるように演出した。
今は、ネットで文章を読む時間が全体的に増えてきている気がする。
それと、ネット用の文章の書き方に独自の方式を入れすぎると、いざそれ以外の場で書くときにちょっとやりづらくなっちゃうわけで。
最近の自分のブログ、必要以上にテーマ性を持たせようとしている感がある。
「そんなんが読みたいんじゃない、もっと混沌でいいんじゃね?」って自分で言ってたくせにだ。
微妙に反省なんてものもしつつ、もっと自分に自由を与えてやろうと考え始めた今日このごろ。それこそ、「twitterの長い版」で。
その方が、「想いを圧縮して保存する」モノとしてのブログの価値は上がる気がする。
そんなわけで、しばらくブログサボってたのは、hamnewsの方で「雑感」コーナーを作ったのと、仕事お引越しでちょいと忙しかったのと、twitterのせい(;^ω^)
がんばって秩序だって役に立てるブログにしようとしたけど、ムリムリ!
結局このままわりと混沌で支離滅裂なまんま続いていくことになると思います。よろしく。
【関連エントリ】
海の中で新陳代謝を繰り返す個体。 - HamNote
ブログを書くこと自体の意味。 - HamNote
24時間動いてください。
手を動かしてるときや、さほど脳ミソ使わない部分を作っているとき。脳ミソが休んでいるのがちょっと気に入らない。
blogっていうのは、脳ミソを休ませないためのいいペースメーカーだ。
脳はどんなに使っても疲れない。24時間365日フルで稼動する、最強の器官。疲れるのは、眼や身体だ。
脳を使い尽くさないのは、せっかくヒトとして生まれてきたのにちともったいない。
場合によっては、2つ以上のことを同時に考えてるほうが、妙な化学反応が起こったりして面白かったりもする。
と、いうわけで、自分の脳ミソ働かせて整理させていくためにも、blogはつけ続けます。
その場その場の軽い思いつきだなんだは、newsの方でコメントつけてたりtwitterで適当にボヤいてたりするので、おヒマな方はのぞいてみてください( ^ω^)
たぶんnoteは落とし込んで結構くどい分、newsやtwitterの方は軽いです。どっちも必要ってことで。
仕事で作ったりするものにも出てきますよ、そういうの。
軽いところは適当なノリで、締めるところはきっちりと。メリハリ大事ある。
海の中で新陳代謝を繰り返す個体。
ウェブがウェブで完結するような世界はもう伸びない。
これからはリアルといかに繋がっていくかが問題になって来る。
(via:ウェブ時代は終わった - hasenkaのメモ)
僕が中高生くらいの頃はまだ、インターネット=オタクの認識が強かった。
家に引きこもって、一人でカチカチしてる印象。普段はうじうじしてしゃべれない奴が、ネットの中で居場所を探す。そんな閉鎖的でネガティブな印象。
その後、目聡い人間がこれは使える!と考えてどんどん流入。使い方次第で莫大な「量」を生み出すツールとして、webが一気に拡大して世界を変えた。
ITを使えば使うほど勘違いしそうになるのだが、PCもwebも、これはあくまでもツール。
別の世界じゃない。箱庭ですらない。これは、原始的なテコとなんら変わりない「ツール」なんだ。サルが放り投げた棒が、そのまま進化しただけなんだ。
この中に新しい世界ができてるんじゃない。残念ながら、人間にはまだ肉体があるんだ。思考はwebの中に放り込めても、五感は放り込めない。友人や恋人と連絡は取れても、直接出会うことはできない。買い物はできても、腹は膨れない。
webは、人間の思考や情報をストレージして繋げていくだけのツールでしかない。webの中に、世界は無い。ただ単に留め、繋げ増幅する道具。人の存在は、現実の中にしかない。
ゲームや買い物といった、現実世界で楽しむことがPCというこのハコのなかで擬似的にできてしまうから、webは第二の現実だなんていう勘違いが始まってしまうんだ。
webの本来は、情報のストレージと発信。そしてそれをリンクさせ、情報の力を爆発的に増幅させる。その力がすさまじいんだ。
だから、個人がblogを書くということは、ただ日記をつけているという以上に計り知れない意味がある。
個人の発した情報は、webの広大な海の中で他の情報とリンクし、その意味ははるかに増幅される。
blogのエントリーというのは、それ一つでは完成しない。リンクを重ねることで、年月とともにその意味はどこまでも膨れ上がっていくのだ。
巨大な海の中で、一つ一つの個体が水を吸収し、その中で熟成・増幅され、豊かになって水が海に戻る。その海は、個体がその中にいる限りどこまでも豊潤になって行く。webに対しては、そんなイメージを持っている。
blogのエントリーは、完成している必要は無い。外から得た情報が自分の中で化学変化したものを返せばいいのだ。ただ、より価値のある情報をより多く海に流すものが重宝されるのは当然だが。
webの海の中では、自分もそのストリームに触れる一員だ。自分で発した情報に自分で触れ、感化される場合もある。いやむしろ、個体単体としてはその意味合いの方が大きいかもしれない。そしてまた吸収し、吐き出す。繰り返し、繰り返し。
そうして個体は消失するまで変化していく。しかし、個体が消失しても、海はそこに残るのだ。
【関連】
表現への責任の取り方。 - HamNote
ブログを書くこと自体の意味。 - HamNote
「ニートの19歳の女の子」の話─現実世界の質量。 - HamNote
モニターと紙。 - HamNote
ウェブ時代は終わった - hasenkaのメモ
エントリが書ける時 - インターネットの真の姿とは
頭に浮かんだ瞬間が「エントリを書ける時」 - 明日は明日の風が吹く
















